ラーメン屋を探索しながら

食べることは、生きることのみなもとで、とにかく必要なのである、と。

食べることがうまくできない生活は貧しいというより、そりゃ大変なことだろう、と。

さらに、食べることだけは足りているけれど、それ以外のことはほとんとできない生活というのは、それでいいはずはないよ、と。

食べることについては、ふつう、こんなふうに考えているように思います。

 これは、エンゲル係数でおなじみの「エンゲルの法則」というものを習ったからかもしれない。
 消費支出のなかで食費の占める割合が高いのは、生活水準が低いというようなことを、おおぜいの人がひとつの常識と考えています、たぶん。しかし、ある時期から、人びとの口から冗談めかした言い方ですが、こんな言葉がでてくるようになりました。「うち、ものすごくエンゲル係数が高いから」たいていは大笑いといっしょに語られます。「とても貧乏なのよ」と言っている形式をとってますが、実は「食べる楽しみをとても大事にしている」とか、「食べる以外にほしいものは、だいたいすでに手に入れて持っている」とか、「食べることには、趣味として大きな領域である」とか、
 さまざまな肯定的なメッセージが入っていて。
 「グルメ(美食家)」や「グルマン(大食漢)」
 というようなことばが、いい意味で使われるのも、食が、「生存にかかわる必要なもの」であることを超え、かつての貴族たちの暮らしを想像させるような趣味や贅沢、文化教養、退屈しのぎになったから。
 そして、「食べる」のための食器、照明、家具、音楽、そういう周辺のものごとも、消費されていく。食に関わるビジネスや文化の総体として考える「超エンゲル係数」は、ものすごく高くなっている気がする。

〆めのラーメン屋の裏路地を歩きながら、楽しんでみたり。

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